トップページはこちら
「絆むしばむ原発が憎い」
新聞労連の共闘会議で、福島の地元紙の労組委員長が語る
岩手の津波の被災地は、半年たってもなお言葉を失う光景


「絆(きずな)をむしばむ放射線、原発が憎い」――。原発事故で地域社会が引き裂かれた
福島県の地元紙『福島民報』の労組委員長は、絞り出すような声で言いました。先月開かれた
新聞労連の共闘会議でのことです。

主に地方紙の15組合でつくる『新幹線拡大15者共闘』
大震災の被災地を訪れるため、初めて岩手県で開催

 この会議は「新幹線拡大15者共闘会議」。新聞労連加盟組合のうち、主に地方紙の15組合で
つくっています。神戸や広島、京都などで会議を開くことが多いのですが、今回は東日本大震
災の被災地を訪れるため、初めて岩手県で開催しました。東京新聞労組からは宇佐見委員長が
参加しました。

 もともと「新幹線共闘」は、東海道・山陽新幹線の沿線にある京都新聞労組、神戸新聞デイ
リースポーツ労組、岡山の山陽新聞労組、広島の中国新聞労組が始めました。その後、仲間
入りする組合が増え、今では15労組が参加しているので「拡大15者」と付いています。
構成メンバーは新聞社でなく、あくまで労働組合なので「15社」ではなく「15者」と書きます。

 今回、岩手での2日間の会議に参加したのは、東奥日報労組、岩手日報労組、秋田魁新報労組、
河北新報労組、河北仙販労組、福島民友新聞労組、福島民報労組、新潟日報労組、東京新聞労組、
共同通信労組、報知新聞労組、京都新聞労組、神戸新聞デイリースポーツ労組、山陽新聞労組、
中国新聞労組、山陰中央新報労組、全徳島新聞労組(15者以外のゲスト組合も含む)。
新聞労連本部からも東海林委員長(毎日新聞労組)が駆け付け、総勢51人となりました。

神戸DS労組「震災に関心が薄れるのは、つらいこと」
「新聞労連は原発の問題に正面から取り組む」と委員長

 1日目の会場は盛岡市内のホテル。参加者が全員起立し、震災の犠牲者に黙とうをささげて
開会しました。ホスト組合となった岩手日報労組の高橋直人委員長は「いま被災地の人が何を
思い、何を求めているのか、各組合に帰って伝えていただきたい」と呼びかけました。

 また、岩手開催の準備作業を支援してきた神戸新聞デイリースポーツ労組の小本淳委員長は、
阪神大震災の被災経験から、こうあいさつしました。「阪神・淡路大震災の発生から2カ月後に、
東京で地下鉄サリン事件が起きたため、東のほう(首都圏など)では急に震災への関心が薄れて
しまった。震災が意識から遠のくのは(被災地の人々にとって)さびしく、つらいことだ。
私たちは東北の方々のことを忘れない」

 新聞労連の東海林智委員長は「被災地・仙台で7月の労連定期大会を開いたが、他産業では
静岡県の浜岡で大会を開いた労働組合もある。私たちも原発のことを考えなければならない。
新聞労連は原発の問題に正面から取り組む」と決意表明しました。

販売店と音信不通、ようやく通じた声は「早く新聞送れ」
「店はないから災害対策本部に送れ。俺たちが待機する」

 今回の震災で、岩手日報の販売網は大きな打撃を受けました。死者・行方不明者は、販売店主3人、
店主の家族11人、配達員12人。25店ある販売店のうち12店が建物を壊され、うち5店は津波で流失
または全壊しました。

 震災発生から2日間は、本社から販売店側に全く連絡がとれず、音信不通でした。ようやく
通じた電話で、沿岸部の販売店側から本社に届いた声は「早く新聞を届けてくれ!」。本社が
「届けると言っても、店がないじゃないか」と言うと、現地の声は「(自治体の)災害対策本部に新聞
を送ってくれ。そこに俺たちが待機する」。

 津波で店や家を失い、配達の足だったバイクも流されてしまった販売店員たちが、リアス式海岸の
ため山間部のように坂道が多い販売エリアで、自転車などで必死の新聞配達を再開したとのことです。

不条理感、不信感、不公平感に苦しむ福島県民

 福島民報労組の高橋英毅委員長によると、福島の人たちは今、3つの「不」に苦しんでいると
いいます。

 「1つめは、不条理感。なぜ原発事故が起きてしまったのか。地震、津波だけで大変なのに、
なぜ原発まで…。農産物の風評被害もある。原発の名前に、なぜ『福島』が付いているのか。
浜岡など、全国のほかの原発には県名は付いていない。福島第一原発は県名が付いているため、
県全体が十把一絡げにされている」

 「2つめは、不信感。政府のデータは本当なのか? 学者の言っていることは信じていいのか?
 線量計を買って測る、その数値は正しいのか? 周りが信用できないから自分で測るが、それも
信用できない。政局絡みにする政治への不信感。放射線の数値の受け止め方が人によって違うこと
による人間不信。夫婦間でも疎通がうまくいかなくなる」

 「3つめは不公平感。線引き1つで補償が全く変わってしまう。避難区域と、そうでない区域。
損害をどう証明していいのか分からない。3つの『不』から何とか抜け出したい。福島の不幸を、
復興につなげたい…」

家族のために新聞社を辞め、福島を去った同僚
「こういう絆をむしばむ放射線、原発が憎い」

 福島民報では最近、浜通り(沿岸部)にある支局で支局長をしていた社員が、家族への放射線の
影響を心配して退職し、県外へ移住したそうです。

 この人は、すでに今年春、支局から本社の社会部に異動していたのですが、やはり「子どもの
健康が大事だ。何とか福島から出たい」との思いが強く、家族のために本人は仕事を辞めるという
選択をしました。

 同僚を失った高橋委員長は「こういう絆(きずな)をむしばむ放射線、原発が憎い」と声を
絞りました。


共同原稿の「死の町」表現には差し替え要求
津波と福島原発の被災に苦しむ地元紙の苦悩

 福島の地元紙の苦悩は、記事の言葉遣いにも表れています。職場が整理部の高橋委員長は「共同
通信の原稿に『死の町』などの表現がある場合、全部削るか、差し替えを送ってもらっている。
『死んだ町』とか『消えた古里』とか…。被災地にも新聞を配っているんだということを(書き手は)
考えているのか?」と問いかけました。

 さらに「『先行きが見えない』はいいが、『終わりが見えない』は絶望的になるから書かない。
整理が『……波高し』という見出しを付けようとした時も(津波を連想するので)考えるように、
と言った。リアリティー(現実を直視すること)も大事だが、地元なので、悲惨さだけで終わらない
ように、希望を持って前向きに行くんだと伝わるような文章を書くようにしている」と説明しました。

 同じく県紙、福島民友新聞労組の田村祐一委員長も「配信記事で使えないものは載せない。
被災者のことを考えて(福島民報と)同じような配慮をしている」と話しました。

コンクリートの基礎を「墓標」にして、お供えの花
何もない…、言葉を失い、立ち尽くすほかない光景

 2日目はバスに乗り込み、内陸部にある盛岡市から沿岸部の被災地へ。岩手県の南部で宮城県と
接する陸前高田市と、その隣の大船渡市を訪ねました。どちらも市街地が津波で壊滅しました。

 陸前高田で、市の中心部に立ちました。いや、かつて中心部だった所、と言うべきでしょう。
半年たっていても、その光景には言葉を失いました。

 そこには、街だったことを思わせるものは、ほとんど何もありません。被災直後は目茶苦茶に
散乱していたはずの残骸、がれきが、今ではかなり片づけられていて、そこに立った第一印象は
「何もない…。ここに街があったなんて…」というのがやっとです。もちろん、そんな言葉では
とても表しきれないのですが。どう言ったらいいのか。どんな言葉でも足りない。立ち尽くす
ほかありませんでした。

 少し歩くと、家の基礎のような「ロ」の字型のコンクリートが、地面に残っていました。
それを墓に見立てたように、花が供えてあります。ちょうどお彼岸のころでもあり、
わりと新しい花でした。その「墓標」に手を合わせ、写真を撮らせていただきました。

 震災の直前に完成したという野球場の照明塔が、遠くに見えました。何もない海辺に、
ニョキッと残る、背の高い4基の照明塔。あたりは海水が引かず、これだけ見るとまるで海岸に
球場を造ったみたいですが、震災前はこの場所から海は見えないほど、海岸線が遠くにあったと
いうことです。

 大船渡では「ここが駅です」と地元の人に案内され、やはり何もない場所に立ちました。
駅舎もありません。かろうじて残る、細かいがれきに埋もれかけたような線路と、プラットホーム
(だったはずのコンクリートの構造物)だけが、ここが駅だったことを物語っていました。

陸前高田市の写真はこちら



inserted by FC2 system