トップページはこちら 『半径百キロ避難でもよかった』 東電関係者がそう語ったとジャーナリスト・今西憲之氏が明かす 震災と原発事故テーマに全国新研部長会議 稲岡さんの参加報告 11月23日、東京・本郷で行われた新聞労連の全国新研部長会議に行ってきました (注=新研とは新聞研究の略で、労連の柱の1つ。報道のあり方を議論する活動)。 私は2期続けての参加でしたが、各単組の新研部長は皆さん初めての参加者で、顔見せを兼ねての会議です。 前半、自己紹介を兼ねて今年の活動や近況報告を各単組から頂きました。 冒頭、新聞労連の東海林委員長(毎日新聞労組)は「新研活動は労連の要(かなめ)。 おろそかにするとジャーナリズムが危うくなる。3・11以降、ネットで様々な情報が飛び交う中にあって、 我々の新聞報道が再評価された。訓練された記者が情報を発信する大切さ、記者が訓練できる 場を確保すること、そして貴重な議論の場として新研活動を有効活用して欲しい」と挨拶がありました。 労連の佐々木新研部長(共同通信労組)からは「言論の自由を守ることが何より重要。画一的、 多数派主義的な論調でなく少数派の意見、多様性を大切にし、考えていることを率直に議論できる ようにしたい。また『しんけん平和新聞』について、今期も発行したいと考えている」との言葉がありました。 単組報告については、やはり被災地からの発言に熱が入り、この半年あまりの震災、 原発が及ぼした組合員への影響の大きさを感じました。中でも一つ、私の印象に残ったのは、 茨城からの「茨城は忘れられた被災地だ。死者25人、津波被害4人(死者2人、行方不明2人)。 しかし大きな被災をされた3県に比べると注目されていない。共同通信も『被災3県』と見出しを打ってくる」というお話でした。 『事故を軽く見せては収束できない』『内部告発だ』 今西氏を原発内に入れた東電関係者は、そう語った 後半は、フリージャーナリストの今西憲之氏と原発問題に詳しい毎日新聞論説委員の 大島秀利氏を迎え、福島第一原発事故の報道についてお話を伺いました。 今西さんは自身が10回以上現場に入り取材をされた体験を率直に語り、積算被曝量が約2ミリシーベルト に達した事を明かし、生々しい現場の報告に各人、固唾(かたず)をのむほどの迫力でした。 たまたま知り合った東電の関係者から「ぜひ来てくれ」といわれ初めて現場を訪れたこと、 そのとき現場の状況と発表情報との違いに体が震え「だまされていた」と感じたそうです。 対して大島さんは「私にはそのようなチャンスはなかったが、もしあったとしても会社に伺い を立てなければならない」といわれ、フリージャーナリストと新聞記者の立場の違いを考えさせられました。 今西さんは「敷地内はホースがそこら中にごろごろ野ざらし。3号機、4号機を目の当たりにして 、今まで見た写真や動画とは迫力が全く違った。政府、東電の発表が軽く感じた」。 「防護服、防護マスクをつけ10人〜15人で重いホースを炎天下で担ぐ。想像を絶する作業。 防護服を脱ぐと汗が流れ出て水たまりになり、その汗を拭く専門の作業員まで必要なほど」と、 行った人にしか分からない話がどんどん出てきました。 「プラントメーカー(東芝、日立など)の人はパソコンを打つのが仕事。 免震棟にいる人も基本的にホワイトカラー。現場で作業している人に会見に来て語ってもらうべき。 東電は過酷さを伝えたくない。作業員のケアを手厚くしないと原発の収束はない」 11月12日に初めてマスコミに敷地内を公開した際も「1〜2日前から『どうもマスコミが入れるらしい』 という情報が入った。がれきを片づけるスピードが非常に速くなって、私が行っていたときより 遙かに綺麗になっている。東電がいやがるのは、がれきがたくさんあってコンテナが逆さまに なったような状況を見せること。私が撮った写真の中でも、そういったものは非常に(上層部が)嫌がったそうだ」 司会の佐々木新研部長の「あなたを内部に入れた東電幹部の気持ちはどうだったんでしょうか? 入れたとなれば社内で不利益もあるのでは?」との質問には、こう答えました。 「報道されていることと現実がこんなに違うんだということを言いたかったのでは。 『おたくらいろいろ報道してるけど、現実とは違うよ』と。実はその幹部は大手マスコミにも声をかけたらしいが 『そんな危ないところには行けない』と口論になったそうだ。たまたま私と知り合って、 私が『行く』と言ったらすごくびっくりしていた。彼に今後不利益が出てくる可能性もある。 かなり出世コースにいるが外れてしまうかもしれない。だから『本当に構わないのか?』と何度も念を押した。 『国民に真実を知ってもらいたい。世界中が知恵を絞らなければいけない。そのためには公開することが出発点。 事故を軽く見せようとしては収束できない。形を変えた内部告発』と言っていた」 阪神大震災、チェルノブイリ、JCOの臨界事故… 『警告を忘れた報道界は反省しなければならない』 一方、大島さんは「最も問題なのはSPEEDI。どちらに流れていくか、大まかに分かったはずだが、 肝心なときに情報が出てこなかった。マスコミはそこを検証しなければいけない。 124億円かけてこの事故で使わなくていつ使うのか。実際、風下に逃げた人もたくさんいた。 大きな問題だ」と言います。そして放射線について「放射線の危険には閾値(しきいち)がない。 浴びれば浴びるほどリスクが高まる。危険性が目で見えない。どう近づくか、近づかないか。 どう判断するかが課題」と話しました。 これについては今西さんも「敷地内にいても『ここはだめだ』『すぐ離れましょう』ということの連続だった。 だからこそ何度も行った。長くて1時間半、たいてい1時間弱しかいられなかった。私の積算被曝量が 約2ミリシーベルト。地元で作業している警察官や消防士は年間10ミリが上限と言っていた。 5〜6ミリは超えて当たり前と話していた」そうです。 大島さんはそれを受けて「放射線は目に見えない。リスクが現れるのはかなり時間が たってからということもある。また、敷地内での取材は、専門家の同行がなければ相当難しいだろう。 1シーベルト/時というようなものすごい場所もある。今西さんはそういうところにいける人間関係をつくっていったのが鍵だ」。 今西さんは「不法侵入は誰にでもできる状態だった。もちろんテロリストも。とんでもなく高い数値を 計測してすぐに車に乗せられたこともある」と、聞いていて体が震えるような生々しいお話が続きます。 佐々木部長からの「工程表について。おしつけられているとか、インチキだという認識は?」という質問に、 今西さんは「当初はそういう話がよくあった。実際、1・5〜2倍くらい遅れていた。4〜5月の段階で 『こんな工程表は無理』とずっと言っていた。最近では予測しなかった高線量を計測することもあり、 そうなると作業は一時ストップする。あの工程表はかなり難しいだろう」と答えられました。 「原発の危険性について今回の震災前の報道はどうだったのか?」という質問には、大島さんが 「最初の警告は95年の阪神・淡路大震災。これが原発を襲ったらどうなるか考えた。原発の最大のリスクは地震。 多重防護で同時にだめにならない工夫をしていても、一気に倒してしまうのが地震。日本は地震が頻発する国。 もっと危険性を叫ぶべきだった。チェルノブイリがあり、JCO(茨城県東海村)の臨界事故があり、 JCOでは国内で2人が亡くなっている。事故が無くても核分裂生成物は100万年管理しなければいけない。 いつの間にか忘れ去られていたのではないか」。そして、こう続けました。 「2000年になって、CO2(二酸化炭素)を出さないから原発はクリーンだと。専門家もそう言った。 チェルノブイリがあってJCOがあって、しかし世間がそれを忘れてしまう。報道界がリスクを忘れ、 メリットに引きずられ両面を見ることができなくなっていた。大きく反省しなければいけない」 『80キロ圏は避難しているだろう、と東電の人は思っていた』 「事故後の報道については?」との質問もあり、大島さんは「予防の原則がおろそかだったと思う。 騒ぎすぎだと言われたが、全くそう思わない。政府の避難措置はどんどん広がっていった。 半径3キロから10キロ、20キロ、30キロ、さらに遠方の飯舘と。『念のために避難するべき』 という選択はあってしかるべきで、それを批判的にとらえるのは難しい。報道もパニックや風評 に気を取られて抑制するのではなく、可能性を伝えなければいけない」。 今西さんは「東電の人は『80キロ圏くらいは避難しているのかな』と思ったそうだ。 3キロから20キロ、30キロに広げたと知って、愕(がく)然としたとおっしゃっていた。 『(福島市、郡山市などの)都市部が入るのを危ぐしたのかな?』と。『100キロ圏内避難でもよかった』 という感想を述べていた」。 さらに今西さんは「電力会社から嫌がられる取材をしなければいけない」と、ぴしゃりと言われました。 そして総括として、これからの取材について「地方から原発に作業員としてたくさんの方が働きに来ている。 その人達は浴びた放射線量が増えると仕事ができなくなって地元に帰る。そのとき、その人達からの生の声を聞くべきだ」 とおっしゃいました。 『言論で原発事故をなくすため、しつこく書き続ける』 大島さんは「被害を正しく伝えていくこと。言論の世界で、事故が起こることを止める。そのためには忘れず、 しつこく書き続けること。そういう意味ではこれからが勝負だと思っている」。 今回の新研部長会議では、単組の報告もさることながら、今西さんと大島さんの講演に深く感銘を受けました。 現場を知る人の言葉、何年も追い続けている人の言葉は大きく重く、ほかでは決して聞くことのできないような 生々しいお話が、会場全体を熱く、静かにおおっていました。 (東京新聞労組新研部長・稲岡悟)